第二報道部オフサイド日記

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うれしい電話

昨夜、懐かしい人から自宅に電話が入った。
3年前、秋田国体の年に男鹿工業高校ラグビー部のフォワードコーチであった板岡さんからだ。
当時、某銀行の支店長さんで、男鹿工業の試合ぶりと内藤監督に惚れこみ、仕事中は黒塗りの運転手付きの車で走りまわっていた人だが、休日の土曜、日曜には秋田市のマンションから電車やバスで男鹿市の男鹿工業高校までわざわざコーチに来てくれていた情熱銀行マンだった。
エピソードとして、乗ったバスの運転手が男鹿工業ラグビー部員の父だったりした事もあった。

<3年前、男鹿工業とともに戦った板岡コーチ(左)>

板岡コーチのおかげもあり、内藤監督定年退職時の年に、男鹿工業はその年の全国大会出場の秋田中央高校と全国大会県予選準決勝で対戦し、感動の同点劇を演じる事が出来たのだ。結果は惜しくも男鹿工業の同点抽選負け。
板岡さんは慶應大学OBで、男鹿工業の練習には自らスクラムに加わり、秋田工業や秋田中央高校部員の心構えと試合マナーを徹底的に当時の男鹿工業部員にたたきこんだのだ。
内藤監督の定年退職と時同じくし、埼玉に転勤になった。
今は、甥がいる東京の成蹊高校にコーチとして足を運んでいるとの事で、成蹊高校は花園出場経験チームだ。
そんな折、遠征時に山梨学院大学と一緒になった。山梨学院には男鹿工業コーチ時代の教え子の高桑健(3年)がいた。彼のレギュラーとして頑張っている姿を見て、嬉しくなり私に電話したものだった。
高桑選手の弟も今、男鹿工業ラグビー部3年生で長身フォワードとして花園を目指している。