第二報道部オフサイド日記

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縁・再開の出会い

九州地方は連日の雨、秋田は空梅雨の様に連日晴れだ。

昨日は、再び不思議な縁の出会いがあった。
先月27日の土曜の雨の午後のことだった。私はポッキーと家の近くを散歩していた。


静かな住宅街に大仙市の中型バスが駐車しており、十数人の子供から大人が町内にある70年前の終戦の前日に土崎地区が空爆され多くの犠牲者の慰霊等を囲んでいた。


<先月27日に雨の中、土崎空襲の慰霊碑を訪れてくれた大仙市の方々>

私はこの土崎に住んで40年ほどなるが初めての光景だった。
運良くそのバスに乗り込もうとした最後の一人のご婦人と少しばかり話をすることができた。
大仙市では同じ空爆広島市に戦争平和の大使を送り、終戦記念日近くになると毎年、土崎地区の慰霊碑を訪問しているという。土崎地区には私の町内を含め慰霊碑が11か所ほどあるらしい。そのご婦人の名前や連絡先も聞けなかった。
その日、この状況を町内会長に報告したら町内会長も感動して、そのことを毎月発行している町内会報に掲載した。
そして昨日である。私は前にチラシで知っていた秋田市中通の「にぎわい交流館」で7月4日〜12日まで行われている「ヒロシマ原爆と土崎空襲展」に足を運んで展示品などを見て回った。会場では土崎空襲を振り返った秋田ケーブルテレビ制作のDVDを7〜80人が鑑賞していていたので、私も観させてもらった。

ヒロシマ原爆と土崎空襲展の会場>


そして上映後に、当時4〜5歳で土崎の空襲を鮮明に記憶している女性からの体験談を話してくれた。
そのご婦人が、なんと先日、我が町内の慰霊碑に訪れ、私と話したその方であった。

<土崎空襲の体験談をしてくれた伊藤さん>

体験談が終わった後で、会場でそのご夫人と、いろいろな話ができた。
なんと偶然というか、不思議な縁の出会いであったろう。
その方は土崎在住の方で土崎被爆市民会議の伊藤さんという方だった。毎年、大仙市の方を案内し、土崎の空襲地を訪れるとのこと。土崎空襲の時は土崎のホテル大和の向かいあたりに住んでいたという。自宅庭の防空壕に避難したが危険を感じ、新国道を渡り、現在の将軍野中学校のある松林に避難し、難を逃れたが、防空壕に残った家族が犠牲になったそうだ。
土崎港被爆市民会議では今年も8月14日に土崎港セリオンで慰霊祭を行う。