75年前の昭和20年8月15日の終戦日の前夜から翌未明にかけて私の住んでいる秋田市土崎相染地区にアメリカ軍の空襲があり多くの犠牲者が出た。
これは、この地区に日本石油の製油所があるから爆撃の的になった。
町内会で毎年運動会を開催している光沼公園の沼には焼きただれた被害者たちが水を求めて行き、中には息絶えた人もいたという。
私のいる町内の一角に犠牲者の慰霊塔が終戦の20年後の昭和40年に町内会によって建てられた。
慰霊塔の台座は土崎地区にあった高射砲隊の高射砲の台であるが老朽化して、町内会で補強し管理している。
この慰霊塔の下には、戦時中の戦士の鉄カブトなどの遺品が埋められており、塔の文字は小畑勇二郎元秋田県知事が書いた。
この慰霊塔の前で毎年、終戦記念日の8月15日・正午のサイレントが鳴り響く時刻に慰霊祭を行う。
献花をし、小学生による平和の祈りを込めた作文が朗読され、昨日、慰霊祭が行われた。