戦後70年
終戦間際に空襲に遭った秋田市土崎地区
いまでも我が家の周辺から不発弾が出てくる。
当時の写真や爆弾、衣料などを秋田市土崎のポートタワーセリオン2階で8月14日まで展示中。
旧日本石油の建物。我が家とは目と鼻の先にあり、今も残っている。秋田市では移設して残す動きがある。
土崎空襲で落された100キロ爆弾(右)と50キロ爆弾(左)
<我が土崎の緑町にある慰霊塔。昭和40年に町内会によって建てられた。文字は当時の小畑勇二郎秋田県知事>
この慰霊塔の前で毎年終戦記念日の8月15日、正午のサイレンの音とともに町内会による慰霊祭が行われる。慰霊塔の下の部分の台座は高射砲の石の台座。この地は毎日のポッキーの散歩コースだ。
この慰霊塔の台座は、かつての高射砲隊の高射砲の石の台座で、ひび割れがして危険になってきた為に一昨年、補修した。費用は行政からの補助が受けられず、全額町内会費で負担になった。