第二報道部オフサイド日記

秋田の話題・お祭り・風景・秋田のラグビーの紹介

69年前

今朝の秋田市は半袖では寒いくらいの冷たい雨だ、
10日前、私は36℃の今年最高気温を記録した東京に出張だった。
10日前は秋田も蒸し暑く、30℃程度。夜には雨が降った竿燈3日目である。
あれから10日、今日の秋田の気温は、わずか10日で10℃近くも下がっている。
又もや秋田は雨。梅雨にあまり降らなかった分が降っているかの様だ。
首都圏から帰省した人たちは寒くて、長そでの準備は大半無いかもしれない。

今日は終戦記念日
今から69年前の昭和20年8月14日22:30〜15日3:30頃にかけて秋田市の土崎地区はアメリカ軍の空爆を受けた。
ここには旧日本石油の製油所があるからだ。
終戦前夜の空襲だった。
250人余りが死の犠牲になった。けが人は数知れないと言われる。
100〜250機の爆撃機が1万2千発ともいわれる爆弾投下した。
私の今住んでいる地域だ。
今でも時々不発弾が出てくる。
しかし、当時は私はまだ生まれていないし、父は土崎生まれだが、私は土崎生まれでは無く、秋田市の南通り地区で生まれで家族の犠牲者はいない。
10キロ以上離れた秋田市内から土崎の空襲は真っ赤に見えたと言う。
昭和51年に今の地に住み着いた。
町内には犠牲者の慰霊塔がある。
毎年、8月15日の正午のサイレンの合図とともに、この慰霊塔の前で慰霊祭が行われている。


昭和48年8月14日に建立された町内にある慰霊碑。
文字は、当時の秋田県知事 小畑勇次郎氏が筆記。

慰霊塔の台は当時の大砲の石の台座であったが、破損が進み危険な為に昨年、コンクリートで補修した。
維持・補修費は行政にお願いしても出ず、町内会費で充てている。


裏には、空爆時の様子が記されている。


ポッキーの散歩道でもある。

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昨夕の秋田市上空。秋の兆しが出てきた。