1983年(昭和58年)5月26日正午、秋田沖を震源にマグニチュード7.7の日本海中部地震が発生した。地震発生から10分後には大津波警報が発表された。この年は関東大震災から60年目だった。
日本海中部地震から今日で29年目となる。
当時、秋田市などでは震度5、屋内では棚から物が飛び散った。峰浜村(現八峰町)では津波の高さは14メートルにのぼった。
秋田では死者83名、うち津波による死者は79名。重軽傷262人。
その中でも合川南小学校の4年生、5年生45人が秋田市から男鹿にかけて遠足に来ており、男鹿青砂海岸で楽しみにしていたお弁当を広げている最中に津波にのまれ13名が犠牲になり,今なお毎年慰霊祭を行なっている悲惨な津波であった。能代市では港湾工事の作業員34人が津波で犠牲にもなった。
液状化による建造物などの被害も全県に及んだ。
建物の全壊2632棟、一部損壊2875棟、道路損壊670ヶ所、港湾損壊125ヶ所、船舶被害681隻などで被害総額1482億3827万円となった。
当時は、日本海側の秋田では津波の意識は太平洋側と違って薄かった。
当時、私は車の運転中だった。
車がパンクした様になり停車し、外を見ると電線が大きく揺れ、ラジオで地震を知った。
家が海沿いにもかかわらず、まず家に向かった。
今だったら、海よりいくらでもと多く高台へ避難と言われるが、当時は津波の意識は全くなかった。
あれから29年、秋田県では5月26日を県民防災の日と定め、防災意識を高めている。
<秋田市大町の倒壊現場・旧ダイエー隣>
<男鹿市戸賀湾の水族館駐車場の車>
<当時、秋田市八橋にあったAKTハウジングセンターに訪れた地震発生時の恐怖におびえる親子>