第二報道部オフサイド日記

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終戦記念日・土崎空襲65年

秋田市の土崎地区が空襲され65年が経った。
1945年8月14日夜から15日未明にかけてアメリカ軍爆撃機132機が1万2047発の爆弾を

秋田市土崎港 日本石油秋田製油所を中心に投下され、犠牲者は254人に上った。
終戦の前日であった。

日本石油秋田製油所は、私の今住んでいる家の目と鼻の先だ。
いまだに投下された時の不発爆弾が発見される。

<土崎港・日本石油 旧社屋門>

当時は、燃え広がる中、被災者が火の粉の中、火傷を負い近くの光沼(ひかりぬま)に飛び込み、
地獄絵図のようだったと語られる。
この光沼地区は現在、体育館やテニスコートとともに芝生の公園化されている。

<公園化された現在の光沼アリーナ>



秋田市土崎・緑町地区の慰霊碑>
慰霊碑の台座は、当時の射撃砲のコンクリート製の台だ。
高射砲の台座と言われたが、実際は射撃砲の物だようだ。
近くから移設され、慰霊碑の台座になった。
当時の日本軍の弾丸は、上空のアメリカ軍の飛行機には、全く届かなかったという。
毎年、8月15日には緑町地区でも昼のサイレントとともに慰霊祭が行われる。