第二報道部オフサイド日記

秋田の話題・お祭り・風景・秋田のラグビーの紹介

戦後77年

毎日、蒸し暑さで寝苦しい夜と、大雨警報が続く秋田。

私の住んでいる土崎相染地区は77年前に太平洋戦争の最後の被爆地で終戦前夜にアメリカ軍のB29の攻撃を受け250人余りの死者が出た。

10キロ以上離れた秋田市中心地からは真っ赤に燃えるのが見えたと言う。

毎年8月15日に町内の慰霊塔の前で町内会主催の慰霊祭が行われる。

この慰霊塔の下には戦争当時の遺品が眠っている。

慰霊塔は町内会で維持管理している。

慰霊塔の台座は、当時の高射砲の台を使用しているが、破損が進み危険なために数年前に補修した。

慰霊塔の文字は、建立時に小畑元秋田県知事から書いてもらった。

正午のサイレンが鳴り響く中で黙とう。

献花、小学生による平和の作文朗読が行われ犠牲者を悼んでいる。