秋田市南通りの聖霊高校や、中通総合病院がある地区の一角に「秋田県ラグビー発祥の地」の記念碑がある。(旧千秋会館敷地)
碑文は渡部一男氏の自筆だ。
この辺はかつて「楢山運動場」があった。楢山地区は秋田駅にも近く、由緒あるものが多い。
秋田では、この地で大正10年4月8日に「秋田運動倶楽部」によって初めてラグビーが行われたのを記念して昭和58年9月10日に秋田県ラグビーフットボール協会が60周年記念として建てたものだ。当時の会長は小林義七郎氏であった。
大正12年春に秋田鉱山専門学校(現秋田大学工学資源学部)によりラグビーが始められた。秋田運動倶楽部との2チームは8月に慶應大学、翌13年に明治大学から指導を受けた。秋田県のラグビーは慶應大学、明治大学の影響が大きい。高校チームの部歌も曲がそれぞれの大学の部歌が使われている。
秋田県最初の公式試合は大正12年9月4日に楢山運動場での秋田鉱山専門学校23−0秋田運動倶楽部の記録がある。
大正13年には全県ラグビー大会、14年には全県中学(旧制)大会が行われ秋田中学(現秋田高校)が優勝している。秋田工業にラグビー同好会が発足したのもこの年だ。
大正、昭和の初期には秋田運動倶楽部、秋田鉱山専門学校の指導により秋田中学(現秋田高高校)、秋田工業、大曲農業、本荘中学(現本荘高校)、秋田師範(現秋田大学教育文化学部)等による各種大会を開催した。大正15年に秋田県体育協会主催の第1回ラ式蹴球大会で秋田中学(現秋田高校)が優勝した。
ラグビーは日本語にすると、蹴(け)る球で 「蹴球」(しゅうきゅう) と言われた。