この新聞記事は第85回(平成17年)全国高校ラグビー秋田予選の記事だ。
16年前のもの。
チーム数も中央地区、県北地区から11チームが参加。合同チームは無い。
この年の秋田工業のキャプテンは安藤泰洋(関東学院大—トヨタ―清水建設)、秋田工業が2連覇した。
翌86回大会は秋田高校が花園出場。
その後、秋田中央が頭角をあらわし、秋田工業と熾烈な決勝戦を繰り返している。
今年の秋田県予選は、合同チームを含め6チームに減った。
今年の花園予選の決勝戦の日、元小坂高校ラグビー部監督の山口清彰先生から1枚の封をされたDVDを渡された。山口先生は内容については何も語らなかった。
ただ「後で見て欲しい!」と、だけだった。
家に帰り、さっそく封を切り再生した。
なんと、18年ほど前に放送された小坂高校ラグビー部の歴史のドキュメント番組と、小坂高校ラグビー部を創部から追い続けてきたABS秋田放送のニュースだった。
さながら、熱血ラグビー山口先生 秋田版である。
伏見工業のラグビー部創設者の山口良治先生との違いは、泣き虫先生では無くて、いつも笑顔ということだ。
共通点は、伏見工業も小坂高校も創部当初は「番長」クラスの手をこまねいた生徒だったことだろう。
小坂高校環境技術科非常勤講師 山口清彰先生67才。今も小坂町のためにラグビー精神で頑張っている。山口先生は富山県魚津市出身で、秋田大学鉱山学部時代にラグビーの魅力を知り、大学卒業後、富山県の一流企業に就職したものの、どうしてもラグビーという素晴らしいスポーツを高校生に伝えていきたいと、5年半勤めた会社を退社し再び秋田大学へ。教員免許取得(高校工業と高校理科)のため、秋田大学の聴講生となり、1年半で念願の高校教師に。それから44年間、秋田県で暮らしている。
秋田市での県大会には必ず八橋のグランドにカメラ片手にやって来て、各チームの戦いぶりを撮る大のラグビー大好き先生だ。
大館工業―小坂高校を歴任し、小坂高校では3人からラグビー同好会を立ち上げ、それから花園県予選出場までになり、ベスト4までになったこともある。
21年目となる現在の勤め先の小坂高校は105年の歴史を持ち、3年後、十和田高校・花輪高校と共に統合されることになっている。現在の1年生が3年生になる時が最後の小坂高校の卒業生となるそうでだ。それまでは生徒たちを見届けたいと、いま他の先生たちと共に色々なことを企画し素敵な生き方をしている。
いつも笑顔の山口先生 49歳当時
秋田大学時代
小坂高校にラグビー部をつくろうと同好会から始め、最初の3人の部員。
左の生徒は、始めは茶髪で、飲酒で停学になったという。そして、山口先生の情熱にほだされて、小坂高校ラグビー部初代キャプテンに。
この時、大館工業ー能代工業戦を高校ラグビーで初めて観戦させた。
山口先生 49歳 18年前
最初の練習試合は、大館工業のチームと対戦し完敗
その後、花園予選出場まで成長した。
ジャージは、山口先生の秋田大学時代と同じ、タイガージャージ。
初戦の相手は皮肉にも大館工業。目標は1トライだった。
1トライ取れば、一生の思い出になると、山口先生は部員に激を飛ばした。
また、1トライ寸前に、ノックオンしてノートライになっても一生の思い出になると、ジョークを言い、部員たちをリラックスさせた。
懸命の突進で1トライを目指したが、あと1歩で涙をのんだ。
しかし、彼らには人生の良き楽しい思い出になったことだろう。