第二報道部オフサイド日記

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竿燈を始めたきっかけ

<竿燈まつり実行委員会   秋田竿燈まつり公式(@akitakantoofficial)インスタグラムフォトより>

竿燈まつり演技者の声
🎤竿燈またはお囃子を始めたきっかけを教えてください。
西馬口労町竿燈会 藤田 和己 さん

私は差し手でも、お囃子でもない。
子どもの頃から竿燈が大好きで、横町の雑貨屋さんから親に買ってもらった紙の提灯竿燈で真似事をして遊んでいたが、当時自分の生まれ育った町内は南通りで内町だったので竿燈を出しておらず、子どもの頃、中通の料亭「あきたくらぶ」の庭で竿燈を見たり、土手長町であふれるばかりの地元の人たちによって竿燈まつりが行われていたのを見たりしながら、「竿燈にでたいな~」と、子供心に思っていた。
その後、社会人になって平成6年に、さきがけ新聞社の広告部長と勤務先の社長が知り合いだった関係で、スポンサー竿燈をだしてみないか、との話がさきがけ新聞社からあり、当時の秋田市竿燈会の堀田会長からの紹介で西馬口労町のスポンサーとして参加し、スポンサーと町内の調整や参加社員の衣装手配や社内告知、演技場所の告知などを行い、まつり本番では竿燈大通りで大若の竿をあげさせてもらったりもした。
会社では15年間、竿燈担当。その後、平成21年に他のスポンサーに変更になったのを機会に、スポンサーの社員側から西馬口労町の町内竿燈会に2人の息子とともに加入させていただき、2人の息子は、差し手とお囃子、私は町内竿燈会の事務局として従事し、スポンサーとの調整、会計、日程調整や屋台、お囃子の手配などに携わり、昨年、代表に選出された。おそらく、町内竿燈会では最高齢の代表だと思われる。一番印象に残ったことは入場パレードの際に竿燈大通りを先頭で歩いたことだ。多くの観客の拍手と声援を浴びながらのパレードの先頭は、身震いするほど感動でいっぱいだった。人生の良き思い出となった。
近年、当町内竿燈会では高齢化と後継者不足の中、今後は、竿燈会の協力を得ながら、会員不足の課題に取り組んで行きたいと思っている。

 

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