第二報道部オフサイド日記

秋田の話題・お祭り・風景・秋田のラグビーの紹介

もうひとつのOB会



秋田工業高校吹奏楽部のOB会が昨夜、秋田市川反の店で行われた。女将さんは私の後輩だ。
出席者は昭和42〜43年卒業ののOBが多かった。
まさに「おじさんバンド」の面々だ。今だに現役バンドマンもいる。
OBの中には、息子が秋田工業の吹奏楽部員の親子2代や、ラグビー部員の親もいる。
それぞれ、高校時代の苦楽を共にした仲間だ。
話は尽きない。
OB会では先輩、後輩の壁はもう無い。
隣の部屋には、大勢の若いグループがいた。店の人に聞いてみると秋田大学生だとの事。
私は女子学生に「就職は、みんな決まった?」と聞いてみた。聞かれた女子学生は、きょとんとした顔で「私達、まだ1年生なんです」と答えた。リクルートスーツ姿だったので、てっきり4年生だと思った。

吹奏楽部の思い出の一つに「ラグビー応援」がある。当時は、ラグビーの応援に「鳴り物」のラッパ、太鼓の応援が許されていた。
我々吹奏楽部(通称 ブラバン)は、八橋ラグビー場でラッパを鳴らし応援した。
私の1年生のころの秋工ラグビー部のキャプテンは佐藤鉄三郎氏(法政ーリコー)だった。
そのとき1年生ラグビー部員に「ノーサイドの日記」の渡辺哲夫さんがいたのだ。私とは高校同期だ。


八橋ラグビー場でのブラバンの応援の楽器を学校から八橋ラグビー場まで運ぶ役目は1年生だ。楽器の大きさは大小さまざまだ。
当時は「リヤカー」に積んで運んだ。その上、学校から八橋ラグビー場までのタイムを競い合った。
八橋での試合のレフリーは、近江宏平先生(当時、秋田高教諭)が印象深い。後に私の息子が少年ラグビーの「秋田市エコー少年ラグビークラブ」で大変お世話になった秋田高校ラグビー部OBである。

又、当時の秋田県民会館での吹奏学部の演奏会では、開演前から観客が県民会館に列を作って並び、会場は敬愛学園(現、国学館高校)、和洋高校、秋田北高の女学生達で2000人入る県民会館が満員だった。ラグビー部員の練習が無い時には、ラグビー部員も来てくれた。
当時の演奏会に来てくれて女学生達は、今どうしてるだろう? みんな孫がいることだろう。

現在、秋田工業高校吹奏学部はマーチングバンドとして全国大会の出場も数回数える。