第二報道部オフサイド日記

秋田の話題・お祭り・風景・秋田のラグビーの紹介

昨日、今日と2日間、工藤進英先生のお母さんの葬儀準備のため朝から晩まで、いつもの「連れ」と葬儀場に詰めっきりだ。葬儀場の一角を遺体安置所として使用しているからだ。
工藤家の親族が続々と全国から集まってくる。
今夕の通夜にあわせ工藤先生もようやく葬儀場入りして初めて母の遺体と対面した。
最初から駆けつけている家族には疲れがでてきているのがわかる。
昼のあいている時間にゆっくり横になって休んでもらいたい。
そういう我々も少し疲れがでてきた。「連れ」は、合間をみて車のなかで仮眠しているが、私には色々溜まっていることが多い。先週、風邪の腹痛で3日間寝込んでしまったからだ。月末も近くなってきている。町内会の会費も集金しなければならない。

昨夜、工藤先生の奥さんと、妹さんを秋田駅に迎えに行った時、一つの事実がわかった。工藤先生の妹さんが私と同じ中学の同期で隣のクラスだったのだ。名前は民子さんという。
我々は戦後のベビーブームでマンモス校の秋田南中学で3年生は1クラス50名の18クラスまであった。
私は15組、妹さんは16組であったことがわかった。話をしているうちに懐かしのクラスメイトの名前が続々と出てくる。当時の私の「マドンナ」の名前も出てきた。
彼女には現在「孫」が7人もいるという。私と同じ年なのに・・・・・。
我が家の次男はまだ二十歳だ。
工藤家の皆は私を実際の年齢より「若く」見ている。若作りをしているわけでもないのに・・・。「○○と△△は歳とらない」とか言われるが、私もそうなのだろうか。
そんな中、東京から工藤先生の弟さんが到着した。弟さんは東京で美容院の経営のかたわら、韓国俳優、歌手などの芸能プロダクションも行っており、私には馴染み薄いが女性には人気の「ぺ・ヨンジュン」などの仕事もしている。
そういえば葬儀場に「ペ・ヨンジュン」からお花が届いており、葬儀場の関係者は驚いていたみたいだ。

そんな話をしている間に、なんか私も工藤家の家族の一員のようになってきた。
明日は火葬、11月1日は最大のヤマ場「葬儀」と、もうひとがんばりだ。
葬儀前日には高校ラグビー秋田県大会決勝戦も控えている。
葬儀の日には時同じくして八橋球技場で秋田ノーザンブレッツセコムラガッツイーストリーグ第6節がある。
仏事とラグビー試合が同時進行している。
八橋球技場と葬儀場は、いくら近いとは言え、掛け持ちするわけにはいかない。