第二報道部オフサイド日記

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「しゅん」からの結婚プレゼント

 去る10月3日、秋田市御所野の結婚式場で男鹿工業高校ラグビー部OBのT君の結婚式があった。新郎は小学校時代から秋田市エコー少年クラブでラグビーをしていたが高校3年生になって「完走」しなかった部員だった。監督からも最後は信頼が薄れてしまった部員だ。そのチームの時、男鹿工業は花園秋田県予選決勝で秋田工業と対戦し、大型プロップ加藤の骨折途中交替で後半スクラムが押され、秋田工業が花園出場した。
新郎は男鹿工業卒業後、秋田経済法科大学(現ノースアジア大学)に進学しラグビー部に入部したが又もや「完走」せず途中退学。コンピューターの仕事を自分で始めたりしていた。その後、秋田経済法科大学ラグビー部も彼のせいでは無いにしろ廃部になった。そんな彼なので、内藤徳男 男鹿工業ラグビー部前監督は好印象を持っておらず結婚式の出席には余り乗り気でなかった。しかし、そこが男鹿工業ラグビー部。内藤監督が結婚式に出席しないのだったら誰が彼を祝福してくれるのだ!とばかり、内藤監督の意思とは関係なく、「出席」となっており、しかも披露宴では乾杯の役目まで決まっていたのだ。
内藤監督は前日、腹を決めた。「俺には過去を言われ無いために、挨拶ではなく、手短かに終わる乾杯の役目にしたな!よし、彼のいい加減な過去を暴いてやろう」と、乾杯に先立ち挨拶の時間を司会者にもらおうと会場に向かった。司会は内藤監督の操縦役で気心のしれた八橋のウグイス嬢 啓子さんだ。(後述の伊藤俊平の母である)
しかし、披露宴が始まり、新郎新婦の紹介を聞いているいるうちに過去のいい加減な事を言う訳にはいかなくなってしまった。それは彼が今、ある商品のセールスマンをしているが、販売成績が全国トップセールスマンにまでのし上がっていたのだ。内藤監督は常日頃「セールスマンは大変だ、俺には絶対出来ない職業だ」と言っていたからだ。自分の一番苦手な仕事を彼は成し遂げ、しかも全国一なのだ。そして新婦の美貌にうっとりしてしまった。
そんな披露宴に男鹿工業ラグビー時代のチームメイトで披露宴に出席出来なかった伊藤俊平(日体大サントリー)からビデオレターと結婚プレゼントにトップリーグの自分のチームのサントリーサンゴリアスのボールが贈られてた。披露宴に出席したラガー達はボールをパスしあって、新郎新婦に渡した。大感激であった事は言うまでもない。