第二報道部オフサイド日記

秋田の話題・お祭り・風景・秋田のラグビーの紹介

59年前

今日は天皇誕生日。77歳をむかえた。
東京江戸川にいる70歳の姉が、先日東京で秋田市の秋田南中学校の同窓会があり出席したとの連絡があった。
話題は秋田市の弁護士殺人事件、自殺・がんの全国一と人口減少、経済活性化の不足、学力全国連続ナンバーワンなどの秋田の話題を「なまり言葉(秋田弁)」で、大いに東京のど真ん中で語り合った。秋田からの著名人の出席も数多くいたらしい。
その中の出席者の一人が、昭和26年の秋田市の地図のコピーを持ってきてくれたそうだ。姉はそのコピーを私に送ってくれた。
秋田高校は秋田駅前にあり、校名は秋田南高校になっている。
秋田高校は明治6年に創立され明治34年には秋田中学、昭和23年に秋田中学、昭和28年に秋田南高校、その後に秋田高校の校名になった。
昭和26年当時は秋田工業高校は秋田工業学校と呼ばれていた。敬愛学園(現 国学館高校)、秋田和洋女子学校(現 秋田和洋高校)は当時からの場所であり、現在の「みずほ銀行秋田支店」のあたりには秋田県庁、秋田警察署があリ、中通小学校の向かいに秋田赤十字病院が位置し、広小路には木ノ内デパートと並び、裁判所などがあった。
その木ノ内デパートも今は1階のフロアーのみの営業で1,2月は設備改修で休業する。
<昭和26年の秋田市中央部・今から59年前>
緑色のマーカーは、秋田市内の小学校を示している。

秋田市南部>

秋田市北部>

当時は、秋田南中学校は「泰平(たいへい)中学校」と呼ばれていたのである。
この地は秋田商業高校の発祥地でもあった。

通り町の橋の千秋公園側には秋田市役所,秋田消防本部と,千秋公園の周辺に官庁が集中していた。
秋田駅裏(東口)は、ほとんど田んぼであった。
秋田北高は、当時から秋田北校の校名になっている。
秋田県脳血管研究センター・成人病医療センターの場所には当時、アメリ進駐軍の宿舎や国立秋田病院があった。当時を語る人は少なくなっていく。
秋田市に関係の無い方でアクセスいていただいている方には、内容をご理解出来ないと思いますのでご了承願います。