第二報道部オフサイド日記

秋田の話題・お祭り・風景・秋田のラグビーの紹介

盛岡紀行・・・①

話題多き参議院選挙が終わった。
岩手県には歴代の総理大臣も多い。
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7月10日、秋田駅東口に集合した昭和37年秋田南中学校3年1組の卒業生を乗せた「エアコン付きワゴン車」は一路、岩手県盛岡へと向かった。
メンバーには元刑務官、秋田南中学校の元校長、大学のラグビー部監督など様々だ。
途中、雫石(しずくいし)の「ろばた」という国道46号線沿いの店で手打ちそばの昼食をとった。
秋田弁では中々「しずくいし」と発音するのが難しい。なかには「すずくいし」と秋田流に発音する人もいる。

盛岡駅に着くと盛岡在住の石山さんという女性が待ち受けていた。彼女は秋田南中学校時代は合唱部だったとの事で、吹奏学部であった私には親近感が感じられた。私のクラスには「塩谷真砂子さん」という合唱部員がいた。イタリアのミラノで活躍した噂は聞いていたが今はどうしているだろう?
盛岡駅で合流した石山さんの先導で盛岡市内を見物する事になった。彼女は我々の為に修学旅行の様に自作の観光パンフレットをつくってくれていた。
題して 「ようこそ 秋田市立南中学校3年1組ミニ旅行」
タイムスケジュールがギッシリと書かれており感激した。
最初の見学地は県立美術館だ。有名画家や彫刻家の作品が重層な建物に展示されていた。
私は、ふと思った。今、秋田市では中通日赤跡地に新美術館を建設しようとしている。
どんなものができるのだろうか?と。

県立美術館の次は原記念館へと向かった。原 敬は盛岡の先人の一人だ。
盛岡の先人には、このほか新渡戸 稲造、米内 光政、金田一 京介、石川 啄木などがいる。

<原 敬の書斎 鎌倉の別荘から昭和63年に移築復元>

<原 敬の生家>

<原 敬の生家は祖父が1850年に建てたもので現在は当初の5分の1程度が残っている>

原 敬は、大正7年に内閣総理大臣、大正10年に65歳で東京駅で刺殺された。今年は没後90年だ。