第二報道部オフサイド日記

秋田の話題・お祭り・風景・秋田のラグビーの紹介

27年前


27年前の昭和58年の今日、秋田県地方は男鹿沖を震源とするマグネチュード7.7の日本海中部地震に遭った。蒸し暑い曇りの日だった。
昼前にグラグラと揺れ、棚は倒れ、あちこちで火災が発生し、地割れが出来たりし我々にはかつて経験の無い107名の死者をだした恐怖であった。
私はこの時、会社が定休日だったので家から八橋球場で行われていた高校野球を見るために車を走らせていた。
車がパンクをしたように左右に揺れた。これはまずいと思い片側に寄せて止めたが様子がおかしかった。電柱がゆれ、電線も大揺れだ、これで地震とわかってUターンして家に戻った。家の中は物が上から落ちて散々であった。
家の安全を確かめてから定休日の職場に向かった。職場内ではキャビネットが多く倒れていた。
港のクレーンも倒れ、ビルの壁やブロック塀の倒壊による被害や地面から地下水が湧き出た液状化現象もあちこちであった。
その後のニュースで悲惨だったのは合川南小学校の生徒が男鹿半島に遠足にきて津波にのまれ大量の犠牲者をだした事だった。