10日ほど前に聴講した文化講演会 「城下町久保田と東部近郊農村」で、無性に秋田市の歴史を再認識したくなり、昔の資料をあちこち探してみた。
江戸時代から大正時代の千秋公園を中心にした絵図を見つけた。
生まれた時から秋田に住んでいても、その秋田の歴史を知らないことが数多い。
我々の年齢になると地元の歴史に興味を持ってくる。
明治の時代に宮城から誘致した連隊訓練所跡(歩兵17連隊)の秋田市手形の秋田大学向かいの敷地は戦後、国などの施設や公舎用地となって今でも残る。
秋田市手形地区の歩兵17連隊跡地に多くある公営建物
歩兵17連隊の宿舎は現在の秋田駅前の市民市場付近にあり、終戦後には連隊宿舎跡には日米文化会館や秋田高校と秋田高校グランドとなったが、その後、秋田高校は現在の手形山に移転。
「手形」は、かつては「手潟」と言われ、潟が多い地区だったようだ。