第二報道部オフサイド日記

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永い一日


<芸能関係からも多くの献花があった葬儀>

私がお世話になっている昭和大学医学部 工藤進英教授の母、和子さん(享年89歳)の葬儀が今日、午後2時から秋田市川尻のセレモニーホールへいあんで執り行われた。
私は午後から職場の休みを取り、午前11時半ごろまでには会場に行く準備をしていた。
しかし、午前9時前に葬儀会場の葬儀委員長役から電話が入った。献花が多数届いているので、並べる順番整理の手伝いをして欲しいとの事である。喪主はまだ秋田に到着せず、葬儀会場入りは午前10時過ぎだと言う。
早速、9時半には会場入りした。確かに献花の数と弔電の数の多さは並大抵ではない。
弔電は前日までにジャンル別に私が分類しておいたが、当日到着分も相当ある。
献花については、事前にリストが出来ていたが、全国の「花キューピット」での当日到着分は見込みがつかない。
献花の配列順は喪主にゆだねるしかないので、ある程度配列しておいた。
喪主が会場到着後、直ちに献花の配列順を確認。ただちに移動変更開始。
2時間に渡る配列順の作業があった。それだけ献花の数が多かった。
今度は弔電から拝読分の選出があり、ある程度のピックアップした弔電の見直しがかかる。葬儀当日の弔電も数多く配達された。
葬儀開始まであと1時間だ。
通常、喪主が遺体搬送から葬儀、法要まで在席するが、今回は違う。通夜、火葬、葬儀しか立ち会えない多忙の喪主なのだ。いない間は我々が喪主の奥さんとともに物事を進めた。
献花の配列、弔電の拝読準備も終わり、慌ただしく軽く昼食をとり、弔問客への対応だ。
葬儀での長い読経は有難くも,我々には辛い。弔辞のお孫さんの「お別れの言葉」に胸が詰まる。
葬儀終了後、35日法要を行い、一般の秋田流「35日法要」では無く、いくらでも多くの会葬者に出席して頂く「偲ぶ会」が行われた。事前の出席人数の見込みにも前日、頭を悩ました。
「法要」の方式についても、10月21日の「通夜」の形式にも喪主はこだわった。
秋田流で必ずしも葬儀、法要をする必要は無く、会葬者全員に同じ御礼の気持ちをしたいのだ。
法要は新方式をとった。地元会葬者は戸惑ったに違いない。「ウエルカムドリンク」の方式をとった。会場側も、この新方式に驚きと戸惑い気味であった。
さすが、世界を渡り歩いている施主だ。
葬儀が終わり、法要があり、身内の慰労会と続き、家に帰ったのが深夜1時だった。
喪主の奥さんは、最終便で、遺骨・遺影・位牌を持って横浜の自宅へと。
なんて永い一日だったろう。
明日から、私には多数の弔電と献花名簿の整理の仕事が待っている。