私のラグビー仲間である 安藤 茂夫さん(男鹿市脇本)
5月1日午前、安藤さんの携帯から私の携帯へ電話が来た。
私は仕事中で、すぐに出られず、折り返して電話した。「モシ―、わりー(悪い)、わりー(悪い)、なにかあったすか~?」と電話した。ところが安藤さんの携帯に出たのは安藤さん本人でなく、息子の敬介さんだった。
「びっくりしないで聞いてください。父が亡くなりました。顔を見に来てください!」
私は絶句した。
数年前に大腸がんの手術をしているが昨年、心筋梗塞が発症、どうしてもステントが入れれない難しい個所があり、経過観察と心臓リハビリ中ではあったが、4月30日夕方、自宅浴場で急死、満78歳。
亡くなる前日まで元気で、各校のGWの練習試合や中央地区大会の観戦に行くのを楽しみにしていた。
安藤茂夫さんは根っからのラグビーフアンで、秋田市八橋ラグビー場の試合などでは試合2時間も前に到着して駐車場を確保し、席はいつもメインスタンド最上段の放送席前が彼の指定席であり、男鹿工業ラグビー親の会としても長きにわたって支援。
また、秋田工業が花園行きが決まると、すぐに私に全国大会寄付金を持ってきた。
私とは、県外での東北大会、熊谷での全国選抜大会などに男鹿工業の枠を超えて車でよく応援に行った。
また、秩父の宮での早稲田大学の試合にもよく足を運んだ。
長男、安藤敬介さんは小学校時代からラグビーを始め、内藤徳男 元男鹿工業監督の勧誘で男鹿工業へ入学後、早稲田大学、セコムラガッツへ進み高校時代から活躍。
内藤監督にとっては、自慢の教え子の一人。男鹿工業高校から早稲田大学への進学は、彼が最初で最後だろうと。
早稲田ではフォワード1番、テレビで早稲田大学のメンバー紹介ではトップに1番、安藤敬介(男鹿工業)と、表示されるのが恩師 内藤監督の自慢だった。
葬儀は近親者のみで5月5日に執り行われる。
ひつぎには、早稲田大学のラグビージャージと、日ごろかぶっていたキャップの帽子が添えられた。
残念でたまらない。
合掌

生前の安藤さん(左)、おなじみの格好だ。

長男 安藤敬介さん(左)、内藤徳男 男鹿工業ラグビー部元監督(中央)、故安藤茂夫さん(右)