第二報道部オフサイド日記

秋田の話題・お祭り・風景・秋田のラグビーの紹介

半世紀前のロケ地めぐり

9月28日の昼から秋田市大町のビアレストラン プラッツで半世紀前の映画の上映会があり行ってきた。

これは秋田市の大町タイムマシンプロジェクト実行委員会が主催した「活き粋おおまち時間空間」

上映会での主催者の挨拶
         


上映作品は1962年 日活映画「銀座の恋の物語」と、秋田市内のロケの1964年 大映映画「17才は一度だけ」であった。
「17才は一度だけ」は1964年10月に秋田ロケ。まさに今の季節。撮影のクランクアップして2か月で秋田市で上映。年末年始のお正月映画であった。
「17才は一度だけ」は私が中学3年の時代のもので母校の秋田工高校の校舎やラグビー場、秋田駅前、千秋公園、広小路、旭川沿いの土手長町、秋田市役所などがロケ地として撮影された。
中学卒業後、年が経過して、この映画のビデオやDVDを探しまわったが、どうしても見つからなかった。

大映映画は現在は権利が角川映画(現 角川書店)に移されているという。

そうしている時、2年前に思いがけなく秋田工業高校秋田市役所同窓会の「金砂会」で上映してくれ見に行き感激した。
そして再度、今回上映する機会を設けて頂いた。
上映後に、とんだサプライズが待ち受けていた。それは主催者側の知り合いから突然依頼され、当時の思い出を観客の前で話す羽目になった。
私は上映会終了後に秋田市内の主なロケ地めぐりをすることにした。
当時の面影が残っているいところ、全く変わって面影がないところと様々であった。

49年前から初秋の秋田市の姿へのタイムマシンである。


  
ロケ地の現在の秋田工業高校、何度もシーンに出てくる。当時と変わっていないのは門と脇の体育館

                   

                  
秋田工業高校ラグビーグランド。当時は砂のグランド。
ここで体育の体操やソフトボールのシーンが撮影された。ラグビー部の練習風景も出ていた。
後方の線路に当時、蒸気機関車が走る姿が映し出されていた。

                 
秋田工業高校の実習棟。当時は木造棟として戦時中の建物と感じられた。

当時はグランド側から実習棟の間からは校舎の正面がはっきりと見えた。



                  
秋田工業高校を背にした保戸野金砂町。この門付近での場面も多かった。

                  
千秋公園のお堀。映画ではボートに乗ってデート中に不良に襲われれる場面があり、和洋高校の土手も映し出される。

                
広小路の歩道はデート場面に。お堀沿いの秋田県民会館は当時もあった。
ハスも当時からお堀いっぱいであった。

                
現在一方通行の広小路。当時は対面通行で歩道も狭く、道幅も広く感じた。。当時の懐かしい車だらけだった。


場面に良く出てきた旭川沿いの土手長町、後方には4丁目橋

                   

                   
主演 高田美和の映画での生家、味噌・醤油屋の「田中屋」
当時は、そのまま使用。現在は「協働大町ビル」になっている。 

                   
現在の秋田駅前。今の駅舎の前の駅舎の時代で、行商の缶をかついだ行商人が多くでてくる。
当時の秋田駅前は修学旅行に行く場面で出てくる。 

                  

                    
秋田市役所。この庁舎が1964年10月26日に盛大に竣工式が行われた模様を撮影。庁舎は今も同じ。
最近、建て替え工事の話が進んでいるが資材高騰で予算内での工事の入札業者がいないという。


<ものがたり> 20世紀ひみつ基地より
高田美和が演じる高校二年生のヒロイン・田中加奈子が通う「秋田芙蓉高校」のロケ地は「秋田工業高校」木造校舎。これを機縁に秋田工高OB会が、懐かしい校舎が映る『十七才は一度だけ』を上映するわけだが、学生服は「秋田経済大学付属高校」(現・明桜高校)の制服が使われた。濃紺の生地、女子はブレザー、男子は海軍服(ボタンの無い詰襟)という、一目で「付高」とわかる、特徴ある制服であった。

東京オリンピックが閉幕して間もない、昭和39年(1964)10月26日、土手長町から山王へ移転した市役所新庁舎の落成式が開催された。その落成記念竿燈を録画するために秋田入りしたロケ隊は前日の25日から撮影開始。

旧家の娘・田中加奈子の家は、大町三丁目に実在した「醤油醸造元・田中屋」。父親・田中修吉を船越英二船越英一郎の父親)が演じ、クラスメイト・島田春子役で、秋田育ちの渚まゆみ(明徳小学校卒)が共演している。

その他のロケ地は、定番デート・スポットであった千秋公園。土手長町通り、広小路、前年落成の協働社ビル、秋田駅周辺。家族旅行に出かける男鹿温泉郷など。

秋田市の映画館街・有楽町通り「秋田大映」において、東京封切りから数日遅れた昭和39年12月25日に封切り、翌1月8日までの新年映画として上映された後、昭和40年2月に同館でアンコール上映(三本立て)のほか、県内大映系列館をはじめ、格安料金の二番館であった秋田駅前「秋田テアトル」および、十人衆町(現・大町五丁目)「銀映座」でも再上映され市民の話題をあつめた。