第二報道部オフサイド日記

秋田の話題・お祭り・風景・秋田のラグビーの紹介

東京オリンピック

2020年 東京オリンピックの招致が昨日の9月8日早朝に決まった。
私が目をさまし、テレビのスイッチを入れて間もなくだった。
56年ぶりの東京開催。
前回の1964年(昭和39年) 第18回開催の時は私は中学3年生だった。
学校の体育館にテレビを置いて開会式を見た記憶がある。
その3年前の小学6年の時には秋田国体も開催され、当時は短期間で二つのビッグスポーツのイベントに出会うことが出来た。
秋田国体の開会式にはマスゲームで参加もした。


東京オリンピックでは翌年に製作された市川昆監督の記録映画も話題を呼んだ。
下の開会式の画像は1965年製作の市川昆監督 映画「東京オリンピック」からの一部。

昭和39年東京オリンピック開会式でオリンピックマーチにのって入場行進する日本選手団

日本選手の赤のブレザーが鮮やかだった。


開会式での開会宣言の昭和天皇


最終聖火ランナー 坂井義則さん(広島県出身 1945年(昭和20年)生まれ)
当時、19歳。
その後、1968年(昭和43年)にフジテレビ入社、同期には逸見政孝アナウンサーがいる。

当時を語る現在の坂井義則氏(68歳)平成25年9月8日放送のNHKニュースより


聖火台でファンファーレの演奏は自衛隊の音楽隊、この中には秋田市楢山出身で現在、秋田市南通りで楽器店「ドッグ」を営む武田さんもいた。


選手宣誓は秋田県能代出身で体操の 小野 喬氏


7年後、被災地はどうなっているか。
自分はどうなっているか。
家族はどうなっているか。