第二報道部オフサイド日記

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兄への想い

又、再び寒波がやって来た。風雪で今朝になったら「なんだこの雪は」と、又、雪が積もり風雪だ。外の温度計は氷点下4℃を
昨日は兄の命日だった。30年前の1月13日、38歳で亡くなった。
その日も大雪で深夜の事でであった。友人、家族が控え室で心配して駆けつけている秋田大学病院の集中治療室で医療機器に囲まれての最期であった。死因は「肺気腫」の診断であった。症状は「肺がん」と同じで肺が「ぐしゃぐしゃ」の状態だったみたいだ。亡くなる前の年の夏に異常を訴えたが、自分では「肺がん」と思い込んだらしく、自ら病院には行こうとしなかった。無理やり秋田日赤へ連れて行って、即入院。回復が見られず当時、唯一の集中治療室がある秋田大学病院に転院したが、復帰出来なかった。咽喉に「痰」が詰まり咽喉を切開し、吸引機で家族が薄暗い部屋で「痰」を吸い取った記憶が今でも残る。

遺体は、友人が毛布に包み、秋田大学病院から自分の車に乗せてくれ深夜の雪が降りしきる中、自宅まで運んでくれた。葬儀社の車を、あえて使わず友情の表れだった。今は、そんな人はいるだろうか。

兄は、生まれて間もなく、父譲りの喘息であった。いわゆる「小児喘息」だ。今だったら喘息の医薬品や治療法も進んでいるが、当時は風邪薬程度で町医者がエンジンのついた自転車(当時は、自転車オートバイと言った)に乗って往診にきてくれた。
いつも、「ゼイセイ」していた。
兄の火葬の時であった。斎場で秋田高校の同級生の親友が、兄の遺骨を「ポリポリ」と食べた。それには親戚一同、仰天したが、それだけ兄は友人に慕われていたのだろう。
昨日の命日に、秋田市寺町の墓に花と線香、ロウソクを供えた。あまりの強風にロウソクと線香に火が付かなかったが,供養する気持ちだから火が付かなくても良いと思った。先月22日は母の命日で同じ墓に供えた花が、風で隣との墓の間に落ちていた。
昨夜からの冷えは年末年始の寒さとは違ってきた。底冷えがし、身にしみる寒さだ。
後1ヶ月は寒さとの戦いか。